旅する「渤海王国」➀
旅する「渤海王国」
ー画像で語る万葉の世紀ー(1)
2004(平成16)年の秋、私は関西空港から大連経由でハルビンへと旅した。黒龍江省博物館(南崗区紅軍街)に展示する渤海王国の文物を観覧するのが目的であった。単独行であったが、上京龍泉府址(寧安市渤海鎮)で発見された王国(698~926)の光り輝く金銅仏・緑釉瓦当・精緻な篆刻の「天門軍印」・三彩獣頭・銅鏡・銅人などの文物を実見し、日本の平城宮址出土品との類似性に感嘆した。上京龍泉府の遺址は、黒龍江省寧安(ねいあん)市渤海鎮(ちん)にあり、今は「失われた」和同開珎の銅銭が中枢部(第4宮殿址)で出土したことでも知られる。帰国までの2日間を、旅行社の車で現地の通訳の方と共に、ハルビンから高速公路301で牡丹江(300キロ余)を経て、遺跡のある寧安市(牡丹江から約35キロ)へ向かった。寧安市で日本語に堪能な現地ガイドの方も加わり、国道201で遺址のある渤海鎮を目指した。50余キロ先の「東京城収費站(駅)」で下り、赤い屋根の印象的な東京城駅舎を撮影し、渤海上京城遺址へ向かった。寧安市から東京城・渤海鎮にかけて、車中から眺める自然景観といえば、田野は広がり緩やかな山並みが印象的で、私が想像していた急峻な山系は眼前に展開しなかった。所々での休憩や天候の変化を危惧し、牡丹江沿いの上京龍泉府址・上京遺址博物館・興隆寺(渤海時代の大石灯塔)を足早に巡回し、第一日目は鏡泊湖畔の賓館に宿を取った。やがて、このときの「旅資料データ」を基に立案した国際共同ならびに個別研究課題は文部科学省・日本学術振興会・民間財団から採択され、十数年におよぶ交流活動とレポート(東アジアの交流と文化遺産)発信に繋がることとなった。
私は、部屋の窓から夕闇せまる鏡泊湖面を眺めながら、926年(日本の平安時代、延長4年)正月に隣国の契丹が攻め入り王城は陥落し、第15代王の大諲譔(だいいんせん)は捕虜となり、翌月に国名は「東丹国」、城は「天福城」と改称され、228年の歴史に幕が下りた「海東盛国」=「記録の消えた王国」と古代日本の交流の考察に着手するための、淡い構想を描いていた。時過ぎて2012年~2019年、日本学術振興会(科研費)の支援と、大連・ハルビン・牡丹江の大学の協力のもと、城西国際大学(客員教授)において個別課題の構想が実現した。報告書『渤海王国と古代日本』(城西国際大学発行)には遺跡とともに周辺景観の画像も随所に組み入れた。いま漸く、公刊に向けて編集作業を進めようと自らに言い聞かせながら、最初の宿に隣接した鏡泊湖の夕暮れと、二日目に泊まった牡丹江のホテルで早朝の窓から眺めた「紅い屋根」の景色を懐かしく思い起こしている。(続)