大伴古麻呂の「天平の交流誌」

「シルクロードと大伴家持の時代」を語ります。

大伴家持への手紙

        大伴家持への手紙2023年夏  藤井一二   

         大伴家持への手紙」

    Ⅰ「あなたの生涯を〈旅〉したい、と思っています」

    Ⅱ「あなたの〈妻〉と〈彼女〉のことを知りたいのです」

    Ⅲ「歴史に名を刻む二人の話を聞かせて下さい-大伴池主と大伴古麻呂

    Ⅳ「あなたは万葉集・巻1~16の編集に本当に関われたのですか?」

    Ⅴ「あなたは、なぜ山上憶良のように私歌集を作らなかったのですか?」

    Ⅵ「あなたの越中守時代における《歌日誌》を作っています」

    VII「あなたの因幡守以後、歌を残さなかった理由が見えてきました」

 

               覚書  

 2021年2月の太宰府講座、2022年3月の魚津講座の折に「まもなく脱稿‥」と語り、  

 2023年富山講座の折は「休憩」していた執筆でした。

 「行きつ戻りつ」しながら、画像手配を経てようやく「あとがき」を書き始めまし 

 た。気がつけば三年余の時も過ぎ原稿文字数は92,688に‥。

 2021年春まで数年間、毎週、往復に利用した北陸新幹線「かがやき」7号A席(通路 

 左・窓側)でPC入力したときの光景が甦ります。  (2023年7月11日記) 

 

大伴家持と布勢水海―万葉びとの「声」が聞こえる

    藤花への讃歌―万葉びとの「声」が聞こえる

                                                                                                   藤井 一二

氷見市下田子(しもたご)の藤波(ふじなみ)神社は、初夏の夕暮れ時がよい。

山藤の白く浮かび上がる花房の揺れを眺め、かの『藤の花の精』が宿る多胡の浦辺と、眼前に展開した水海を想像するとき、万葉びとの遊覧した時代と風土に心を重ね合わせることができる。

天平勝宝二年(750)の四月六日(新暦の五月十九日)、大伴家持らは布勢水海(ふせのみずうみ)に遊覧し、長歌と短歌を詠んだ。次は、そのときの一首。

藤浪の 花の盛(さかり)に かくしこそ 浦漕ぎ廻(み)つつ 年にしのはめ       

                             (巻19・4188)

藤奈美能 花盛尓 如此許曾 浦己藝廻都追 年尓之努波米 (元暦校本万葉集)

(藤波の花の盛りに このように 岬を漕ぎ巡りつつ 年ごとに景色を賞美しよう)

〇澤瀉久孝『萬葉集注釋』中央公論社                      〇「藤奈美」を澤瀉本は「藤波」、筆者は「藤浪」を採用。

もうすぐ、この季節がやってくる。

もうすぐ、続著原稿の推敲が終わりそうだ‥。      (2023年4月27日) 

                           

〇参考:藤井一二「大伴家持と越路の水海」『国立能楽堂』第419号・特集号

〇画像(上)藤波神社(氷見市下田子) ※画像提供は、本誌参照。

〇画像(下)藤波神社の藤の花     ※藤井撮影            

           

 

紅(くれない)匂う季節黒龍江畔の「花だより」

               

過ぎ行く時の「はやさ」に圧倒されつつ、「画像で語る 天平の交流誌」web版の編集に入りました。先日、保存フアイルを整理しながら、手を止めた一枚の「花便り」です。

2016年と2018年、中国黒龍江省の大学で、自著『天平渤海交流―もう一つの遣唐使』(塙選書)のポイントを語れる招待講座が企画されました。            新潟―ハルビン―黒河の往来には経由地のハルビンで宿泊し、黒龍江省博物館・中央大街・新華書店へ出向くのが楽しみでした。

2022年の5月初め、黒龍江畔の「花便り」がメールで届きました。それは説明の言葉も要らないほどの鮮麗な画像(動画)であり、私は何度も見返していました。

いま、講座の概要と共に「黒龍江畔」の花便りの画像を交流記録に添えたい、と思っています。(2023年4月記。藤井・フエイスブックから)

            〇画像:黒龍江畔の花だより(部分)

       藤井一二 FUJII・KAZUTSUGU 

 

紅(くれない)匂う季節―空に映える桃の花          

                              藤井 一二

原稿の推敲中、奈良時代天平勝宝2年(750)3月1日(新暦4月15日)、大伴家持の作歌に目が止まった。

大伴家持が、越中国へ赴任して4年目の春。桃李の花を眺め、春苑の娘子(おとめ)を題材にして、次の歌を詠んでいる。都から来越中の妻、坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)がモデルであったのだろうか。

春の苑(その) (くれなゐ)にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子(をとめ)         

             (巻19・4139)(澤瀉久孝『萬葉集注釋』中央公論社)

いま、手元の注釈書、何冊かに目を通してみた。その解釈には著者それぞれの「想い」が込められている。私のブログに気づく方々の解釈は、如何であろうか。

澤瀉久孝氏:「春の苑の 紅に美しく映えている桃の花が、樹の下を照らしている道に 出で立つ少女よ」『万葉集注釈』巻19、中央公論社

伊藤博:「春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子よ」角川文庫『万葉集』4

佐竹昭広ら:「春の園の、紅に色づいた桃の花が 下まで照り映える道に出て立っている娘子よ」岩波文庫万葉集』5

いずれの訳によっても、「くれない」の桃花が醸しだす絵画の世界に吸い込まれてゆきそうだ。さて、私の場合、どのように訳そうか‥と、春宵に思いを巡らしていた。

                             (2023年4月5日)

〇画像 自宅前の桃花 (巻頭画像の遠方に北アルプスが浮かぶ)

 大伴家持の時代ー東アジアの大交流時代ー高志の国文学館・文学講座の記録

 シルクロード大伴家持の時代」―『画像で語る・天平の交流誌』へ

                            藤井 一二   

                                                                   

2023年2月18日(土)午後:高志の国文学館における文学講座において、私の「シルクロード大伴家持の時代」(Ⅰ部:憧憬のシルクロード、Ⅱ部:遥かなる敦煌からの伝言)が終了しました。

昨年末に依頼をうけ、2019年西安、2021年太宰府、2022年魚津の各講座に掲げる巡回セミナーの総仕上げを意図し、資料の調整を図ってきました。「画像で語る」シリーズだけに、敦煌西安・洛陽と大宰府平城京に関する最新資料を含む70コマには初公開の画像も多く含み、目下、準備中の『画像で語る「天平の交流誌」』の編集の一環でもありました。

準備した多量のデータを会場スクリーンへ綺麗に投影できたのは、見事に対応してくださった高志の国文学館の皆様のお陰です。そして、縁あって会場に参集された54名(定員)+α の方々との出会いも私にとって貴重な機会となりました。先年の太宰府がそうであったように‥。

もう一つ、近刊『カリヨン通り』24号(水田宗子主宰、東京)に載る、私の覚書「青春の大伴家持」を話題にできたのも嬉しいことでした。今朝早く目が覚めて、この「青春の大伴家持」を推敲中の『大伴家持万葉集』(仮題)のどの章へ組み入れようか‥と、思案を巡らせていました。(2月19日記す)

 

➀「画像で語る シルクロード大伴家持の時代」

  序章:憧憬のシルクロード―洛陽・長安から(20コマ)

  本章:遥かなる敦煌からの「伝言」(50コマ)

➁講座資料の一画像

 (洛陽発見の和同開珎・銀銭、径24ミリ、重6.35グラム)




「高志の国」からの手紙                      花の「精」と万葉の舞台―大伴家持越中国     藤井一二 

     平成30(2018)年夏、『国立能楽堂』419号に「大伴家持と越路の水海―謡曲〈藤〉の歴史舞台」と題する小文を執筆する機会があった。
それは、越路(こしじ)の旅に出向いた都の僧と、多胡(たこ)の浦の「藤の花の精」の出会いや、紫匂う藤の花を「暮れ行く春のかたみ」と惜しみ、仏法との縁を結んだ藤の花の精が 「天女」のごとく歌舞を演じる場面に、多胡の浦を彩る藤波と花の精が醸し出す幻想の世界を描き出した、謡曲「藤」の舞台をテーマとする。私には、万葉びとの遊覧した時代と風土に 心を重ね合わせる作業となった。
同誌の巻頭を飾る随筆は万葉学者・中西進氏の「上路(あげろ)の山姥」。謡曲「山姥」にみる山姥と「越中の上路」に関する幻想の世界を描く。

中西進氏と[高志の国]                             先日、中西進氏が来春、高志の国文学館の館長を退任されるニュースに接した。開館以来の運営10年間。当館ホームページは地域ゆかりの文学(作家・作品)を含む企画展・講座や大伴家持文学賞・高志の国詩歌賞など、国際的に注目された多彩で魅力的な活動内容を伝えている。

ふと、私は思った。
奈良時代大伴家持越中国守に5年間の在任。中西氏は平成から令和にかけて毎週、自宅から富山へ向かうこと10年。万葉集に心寄せて、高志の山河を詠い上げた大伴家持への「追懐」の情が活動を支えてきたのでは‥と、勝手に想像した。 

私にとって、大伴家持が心した「うつろひ」「くれなゐ」「常なきもの」などの「ことば」に引き寄せられた若き日、書を通して感銘をうけた先学のお一人であった。
昨夜、推敲作業を中断していた「大伴家持万葉集」(仮題)の原稿データをフアイルから探し出すのに時間を要した。執筆し始めた期日を確かめ、あらためて時の「移ろい」を痛感している(歴史家、2022年12月11日記)。