大伴古麻呂の「天平の交流誌」

「シルクロードと大伴家持の時代」を語ります。

「高志の国」からの手紙                      花の「精」と万葉の舞台―大伴家持越中国     藤井一二 

     平成30(2018)年夏、『国立能楽堂』419号に「大伴家持と越路の水海―謡曲〈藤〉の歴史舞台」と題する小文を執筆する機会があった。
それは、越路(こしじ)の旅に出向いた都の僧と、多胡(たこ)の浦の「藤の花の精」の出会いや、紫匂う藤の花を「暮れ行く春のかたみ」と惜しみ、仏法との縁を結んだ藤の花の精が 「天女」のごとく歌舞を演じる場面に、多胡の浦を彩る藤波と花の精が醸し出す幻想の世界を描き出した、謡曲「藤」の舞台をテーマとする。私には、万葉びとの遊覧した時代と風土に 心を重ね合わせる作業となった。
同誌の巻頭を飾る随筆は万葉学者・中西進氏の「上路(あげろ)の山姥」。謡曲「山姥」にみる山姥と「越中の上路」に関する幻想の世界を描く。

中西進氏と[高志の国]                             先日、中西進氏が来春、高志の国文学館の館長を退任されるニュースに接した。開館以来の運営10年間。当館ホームページは地域ゆかりの文学(作家・作品)を含む企画展・講座や大伴家持文学賞・高志の国詩歌賞など、国際的に注目された多彩で魅力的な活動内容を伝えている。

ふと、私は思った。
奈良時代大伴家持越中国守に5年間の在任。中西氏は平成から令和にかけて毎週、自宅から富山へ向かうこと10年。万葉集に心寄せて、高志の山河を詠い上げた大伴家持への「追懐」の情が活動を支えてきたのでは‥と、勝手に想像した。 

私にとって、大伴家持が心した「うつろひ」「くれなゐ」「常なきもの」などの「ことば」に引き寄せられた若き日、書を通して感銘をうけた先学のお一人であった。
昨夜、推敲作業を中断していた「大伴家持万葉集」(仮題)の原稿データをフアイルから探し出すのに時間を要した。執筆し始めた期日を確かめ、あらためて時の「移ろい」を痛感している(歴史家、2022年12月11日記)。